2012/11/16 KGC主催側との話し合い(2)

以下は2012/11/16に行われた、KGC主催団体との話し合い(2)の簡易議事録の全文です。
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___________________________________________ NF事務局(以下NFO)、KGC主催girls runner(GR/KGC)、「人たち」、参加者合計40名強。
NFOから見解⇒KGCから説明⇒質疑応答の流れ

NFO:NFOからの見解→GRからの説明の流れで。
人たち:「人たち」からの資料は3種類。(資料配布)
NFO:資料が手元に行き渡りましたか。11/7の第一回KGCと考える人たちの話し合い議事録、11/13のgirlsrunnerからのメール、「人たち」に寄せられたメッセージ
NFO:話し合いを始めます。


■NFOからの見解
BFO:NFOでは企画を妨害しない範囲において自主的な活動を行うことが認められる。しかし京大生一般の合意によって差別的であると判断されれば中止される。現在一般的合意によるKGCの内容が差別的であるというものはない。よってNFOからは禁止できない。
前 回の話について。京大生の総意がとれていない状態では禁止できない。前回差別的だと僕が宣言したが、それは僕個人の意見でありNFOの見解ではない。ま た、パンフレットでの経緯説明について、前回持ち帰って話すということであったが、確定事項とされていたので変更したい。KGCさんが企画内容を変更して 開催するということなのでパンフレットの件に関してはこの話し合いの後、事務局で検討する。

□参考①:NFOから当日pm5:50に送られていたメール
「KGCさん 考える人たちさん

お世話になっております。11月祭事務局です。
本日の話し合いの前に、あらかじめ事務局の見解をお伝えしておきます。
11月祭では参加する京大生がどのような思想・信条等を持っているかに関わらず、企画を妨害しない範囲において自主的活動を行うことが保障されています。
ただし京大生の総意として11月祭に不相応だと判断するような内容ならば、その企画は制限されてしかるべきです。
今回のKGCの件では開催に反対である人、賛成である人双方が存在しており、現在そのような合意は得られておりません。
このような状態でKGCの企画内容を制限したり、中止にしたりすることは自主的活動の制限にあたります。
以上の理由より、11月祭事務局としては、KGCの内容を制限したり、中止にしたりすることはできません。

以上が事務局としての見解になります。ご確認ください。」


■KGC主催団体girls runnerからの説明
GR: 持ち帰り事項が達成されなかったことにはお詫びする。私自身、(ジェンダーなどの問題について)指摘されたのは初めてであり準備不足であった。それによっ て、自分やKGC主催団体の主張が定まっておらずその場で発言してしまったために、持ち帰って検討した結果、異なる結論を出すということになりそれらは達 成できなかった。(関心を持つ人達を)困惑させてしまったことを謝罪する。
KGC で再検討した結果、企画内容に差別性は一切含まれていないという結論に至った。変更点は、順位付けを行わない、モデルの人数制限を行わずより多くの人に出 演してもらう。GRとしては順位付けが差別性を持っていないと判断しているが、実際にこのような指摘を受けたことを加味して、こだわる必要がないというこ とで変更した。以上。

■考える人たちから議事進行に関するお願い
人たち:議事進行に関するお願い。まず、Facebookに記載した「お願い」を読み上げ、またこちらとしても後で読んで誤解を招く表現であったと思うので、申し訳ないと考えている。そこで補足を行う。
ま ず読み上げる。「今日の話し合いの場は、「考える人たち」が、KGC主催団体さんとお話をしたいということでお願いし、設定された場です。議論の軸がずら され、また話し合いが成立しなくなるということは互いに望んでいないと思います。そこで、基本的に、「人たち」と主催団体が話し合う場であることを尊重し ていただき、「人たち」への意見・質問などがあれば、当日の話し合いの場ではなく、別の場で提起していただきたいと思います。」
そ れから、11/13の話し合いにも最初に言及したが、11/6,7に行われた話し合いでは、団体に所属している人たちの枠組みがはっきりしていなかった。 11/7以降に会議を行い、11/13のBRUFFとの話し合いの前に団体名を使える人をはっきりさせた。ここに並んでいるのが現在「人たち」として団体 名を使い、活動しているメンバーである(挙手)。Facebookに挙げた文章についてだが、誤解を招いてしまったと思うので補足する。今日の場は、 girlsrunner に質問や意見のある人、この場に参加しているひとの発言を制限したりするつもりはなく、自由に発言出来る場とはしたい。ただ、あ まりにも(11/13は)ジェンダーや協賛の問題から外れた発言が前回多く、話し合いが成り立たなかったので、このように言っている。11/7のKGCと の話し合いでは、NFOへの質問も相次いでいたが、NFOへの意見とKGCへの意見が錯綜してしまい、議場が混乱したので、今回はKGCに限って行うこと とする。それでいいでしょうか。


NFO:それでは議事を進行します。
GR:資料の説明をして欲しい。
人 たち:前回のGRとの話し合い議事録がひとつ。GRから前回の話し合いのあと、再検討結果として「人たち」に送られてきたメールを印刷したものがひとつ。 また、本日「人たち」に寄せられたある個人からのメッセージを印刷したものがひとつ。メッセージに関しては、見るのが初めてのひとがほとんどなので読み込 みの時間をとってほしい。
NFO:資料読み込みの時間を取ります。

■NFOから
NFO :「お願い」について。メールでもNFOのスタンスをはっきり示そうとしていたが、もう一度説明する。Facebook(以下,FB)にNFOから(抗議 活動について)「お願い」をされたと載っているが、抗議活動全般を自粛しろと言った訳ではなく、企画の開催を妨げたり観客の迷惑になるような企画の妨害と なる抗議活動をやめてくれと言いたかったのだが、伝わっていなかったか?

□参考②:[NFOからの申し入れについて](11/15「人たち」のFBページに記載)
「NF事務局からの申し入れについて

①NF事務局から11/15(本日)16時前後、「今日の21時過ぎから「考える人たち」との話し合いを持ちたい」との連絡がありました。さすがに当日の申し出は調整もできず無理である旨を伝えました。

②本日20時過ぎ、今度はKGCとの話合いの日程をずらしたいという連絡がありました。
理由は、KGCとの話し合いの日程をずらした上で、その前に「考える人たち」とNF事務局で話し合いの場を持ちたいとのことでした。
昨日、NF事務局から「おそらく金曜である」と言われ、金曜のつもりで調整していたので、急には変更できないことを電話で伝えたところ、「抗議活動をしないということを約束して欲しい」ということを言われました。
KGCとの話し合いも終了していない段階でそのようなことについては返答出来ない旨を伝えました。

本来話し合いの場を仲介・設定するだけの立場であると自認していた事務局からこのような「お願い」があったことに大変驚きました。」        

人たち:抗議活動の内容を制限するよう約束を求められたので、この書き方で間違っていないと思います。
NFO:そもそも、NFの規約として他の企画を妨害してはいけないというものがある。それは全体の共通認識では?それは違うか?
参加者:違うと思います。それは(NFOの)内部事情であり、全体の認識ではない。
人 たち:話し合いたいことについて、日時を変更したい旨と、前回はNFOへとGRへの話が交錯してわかりにくかったというのがある。メールは読んでいる。 (※このとき、直前に送られていた参考②のメールには気付いておらず、それ以前の日程に関するメールのことだと勘違いしていたため、少し食い違いがありま す)
NFO:NFOとしては抗議活動全般を禁止する訳ではない。FBの記載を訂正して欲しい。
人たち:記載内容の変更は後で。今はGRの話をしないか。
NFO:そもそも根本として、妨害行為は全体に禁止されているということを、ここで全体に共有したい。
参加者:それはNFO内部の規約。
NFO:NF全体の規約として全員で共通認識して欲しい。
参加者:規約はどこにあるの?ネットとかで広報されている?
NFO:僕は持っている。取り敢えず約束して。
GR:KGCのイベントが開催されることになって、その前後で何か(GR側に)危害が加えられるようなことがあれば、NFOとしてはどういう対応をする?
NFO:やめて下さいと(いうこと)しか約束できない。
参加者:危害を加える加えないなどという話は今話すべきでない。(話せない)
GR:運営するしないに関してお互い遺恨を残せば、何かしら危害を加えることになるかもしれない。その約束がなければこの話し合いは成り立たない。
人たち:遺恨が残らないように話し合いたい、と言っている。
参加者:NFOは規約があるならきちんと出して。
NFO:規約はNFOとして要請されれば公開する。web上での公開などはしていない。



NFO:GRに質問があれば。
参加者:メッセージを寄せたものと親しい者であるが、これを読んでどう考えた?質問も載っているので答えて欲しい。
人たち:いいと思います。(メッセージに答えてほしい)
KGC:これは「人たち」の意見ですか?

聴衆増加、資料再配布

人たち:(資料としても配布したメッセージは)私たちの団体からという訳ではなく、私たちの団体に寄せられた意見である。
GR:これは人たちの意見ですか?
人たち:これを書いたひとは、「人たち」の内部の人間ではない。
GR:では答える必要がない。
人たち:今日の参加者の質問には全て答えないつもり?
GR:そういうわけではない…。
参加者:二団体間のやり取りを重要視するなら答える必要がないのでは。
参加者:人たちが持ってきている以上、質問対象になるのでは。
人たち:これについて意見を伺いたい。
GR:そういうことなら答える。考える時間をください。

参加者:この文章をネットワーク上で見ることはできるか?
人たち:今この場で対応できていない。今後(文章を)出してる本人に確認をとってから、許可が出れば出せる。
(※許可が出たので、google driveにあげました。
 ⇒:https://docs.google.com/open?id=0B_y_lwkiFiAWbGFyQXozOEJvWmM)
GR: (メッセージ内の)1について。ファッションの中で男っぽい女っぽいものが存在するのは確か。しかしそのどちらかを選ぶのは個人の自由。それについてこち らから規定したり社会から決まりがあるわけではない。毎日ファッションやオシャレを気にしなければ人間としての評価が下がるというわけではないと思う。そ こだけが評価ポイントではないし、そういう現状もない。
人たち:しかし、評価が上がることがあるんですよね?
GR:それは他者からよく見られたいという前提があるんですよね?
人たち:評価というのは他者がするものなので他者からの評価のことですよ。
GR:外見で評価されたいからオシャレさで評価されたいのでは。
参加者:この企画は外見というかオシャレで人を判断する企画でしょ?その判断基準がイヤなのでは。
GR:なぜオシャレな服装をする必要があるのか説明して。
参加者:「男らしい」服装、「女らしい」服装、選択は自由だとおっしゃるが、明日あなた(GR)はスカートを履いて街を歩けるか?それが規範ということ。
GR:それは個人の自由でしょ。
参加者:自由だと言うが、あなた(GR)は出来るのか?
GR:僕は嫌。
参加者:僕も嫌。それで今「嫌だ」という声が上がっているということを言っている。
参加者:個人の自由、それが何?僕もネタでなら女装したことあるが、ネタであるかどうかは本人の意識の問題であって外からは分からない。
参加者:そもそもネタとして存在しているから問題なのでは。
人たち:(声の)ボリューム下げて。扱っている問題の性質上、発言できなくなる人が増える。
参 加者:「オシャレな子がいることで自分たちの所属するコミュニティのイメージアップにつながる」と現にGRのツイートが言っていた(広報していた)。今の 答弁はそれに矛盾する。オシャレさが価値判断に通じていないと言っていたが、あなたたちのツイートはその価値判断に則っている。
GR:オシャレをしなければならないと(企画が)喚起していることはないと思う。服装によって自分の評価を上げたいという前提があるなるば気にすればよい。気にしたくないなら気にしなければいい。
参加者:その前提というのが社会の中で規範として存在している。あなたたちはその規範に則っているから問題。
GR:そうでしょうか。
参加者:その例証として先ほどあなた(GR)が明日から女装して街を歩けるかと問われたわけである。
GR:僕はオシャレして評価あげたいという前提があるので、それ(女装)は嫌です。
参加者:僕はオシャレに興味がなくても、例えば明日セーラー服着て歩いていたら好奇の目で見られるようになる。それが社会規範ということ。あなたがオシャレをしたいかどうかではなく社会の規範の話。
GR: 自分の外見は評価されるためにあるのではなくて、いろいろな良い所の一点に過ぎない。(KGCのツイートは)実際周りにオシャレさでアピールしたい人がい たら呼んできて欲しいという意図だった。実際に僕たちが(出演者の)選考などすることは全くない。公序良俗に反しない限りで自分の良いところを出してい い。その一つのファッションであるという趣旨のイベントであることを理解してほしい。
参加者:規範であると言っているからには、あなた方が規範を作り出すと言っているのではなく、既にある規範を強化している要素があるということ。
GR:どの点が強化している?
参加者:外見に関する規範のあらましとして、「美しい方が良い」というものもある。ステージで行なってしまえばそれを強化してしまう。
参加者:評価しないならいいんじゃね?
参加者:ステージに乗せる時点で評価対象になる。

人たち:女性の定義について。前回の説明(11/7)と変わっているようだが?前回は「女性」とは性自認が「女性」であるという回答だった。
GR:あの時は突然聞かれたから分からなかった。自分の認識として、基本的には戸籍上の女性とするのが最終結論。
ひとたち:意味がわからない。
GR:戸籍上で一旦線を引いておいて、戸籍が男性でも性自認が女性であれば個別相談に応じるということ。
人たち:相談をしなければならないということ。オシャレと性別の関係はどういうことか?
人たち:「girls」(というタイトル)も変更されてない。前回の話し合いからの経緯を説明して。
GR: そもそも女性に限定した意図はないという事実がある。もともとの企画がミスコンだったのでそこから派生した自然な流れだった。企画サイドにとっては自然 だった。男性も入れればという話があったが、そんなことでは解決しない。女性差別だけではなく男性差別も存在する。男性らしさを押し付けられることもあ る。男性も含めたら更に問題性が増大する。
参加者:だから問題があるって言ってるんでしょ。
参加者:女性は差別されてもいいということ?
GR:あなた達が考える差別ということ。GRとしては差別とは認識していない。
人たち:男性を含めて予測される増大する差別とは?
参加者:あなた方の考える、この場合の差別とは?
GR:この企画にはない。
参加者:そうではなく、あなたは私たちが何を差別として言っていると認識しているのか。
人たち:女性だけではなく、男性も含めたらもっと差別性が増大する、という意味がわからないので説明をして欲しい。

GR:前回、女性をステージに乗せて、そこでできる視る/視られるという関係は、今の社会の状況では女性を商品化、対象化する、そういう構造を助長するという意見がありました。そこに差別性があって、(企画が)差別を助長するものというGRの理解である。
人たち:だから(その意見に対して)何か反論したいことがあるんですよね?
GR:反論したいというか、それは存在しないということ。
人たち:そういう社会構造はない、という意味か?
GR:構造がないと言っているのではなく、この企画には視る/視られるという関係は成立しないということ。
人たち:観客のいない企画ということ?ステージってなんだと思います?
GR:参加者は自ら視て欲しいと思っている。視る/視られるではなく、視せる/視せられるの関係だから。一方的に視られる対象という訳ではない。
参加者:その言い換えの違いが分からない。
人たち:それで積極的に見せたいという女性たちを、結局あなたがたは視たかったんですよね。自分を見られたいという女性を利用して見世物にしたかったということでは。
GR:利用して、とはどういう意味か?
人たち:企画当時、あなたたちは視たかったんですよね?それは間違いないんじゃないですか?
参加者:出る側の女性も場を利用しているのでは。
人たち:それを踏まえた上で、企画をする人はそもそも出る女性を見たかったのでは。「見せられる」ではなく、積極的に視よう、視たいという。
GR:当日来られる観客も視たいという気持ちで来る。そこには全く何の問題もないと思う。
参加者:見られたい人がいるから見せる、だけの問題ではなく、公共の場でやる以上、見くない人に見たくないならお前消えろとは言えないでしょ?
GR:そうですね。
参加者:だから見られたい人、見たい人だけの問題ではなく、もっと波及していく問題でしょ。出たい人がいるからというのは、こちらへの回答にはなっていない。
GR:どういうこと?波及のプロセスをもっと具体的に説明して。
参加者:見る側は女性という括りで見るでしょ?しかもオシャレになりたい、京大生の彼氏を作りたいと言う謳い文句も訂正されていない。
GR:そこも問題ないと判断した。
参加者:不誠実ですね。
参加者:(話を戻して、ステージ上でそうした企画をすることで)そういう宣伝文句も残ったままで規範を強化されるでしょ?そのことについてもっと考えて。
参加者:強化する、の認識についてもっと全体で共有しよう。
参加者:さっき僕の質問が流された。決定的にあなた達のツイートは差別的。「オシャレなメンバーがコミュニティにいることでそのコミュニティの質が上がる」というのが決定的に差別的。
参 加者:規範の強化について僕が思うことを言う。そもそもの社会構造として女性というものは見られ、それを見る人がいるという構造があった。たとえば男性が 街を歩くときにどれほど服装を気にし、女性が街を歩くときにどの程度服装を気にさせられるか。京大のオシャレな人をショーケース方式に見せていった時に、 その時点でオシャレに価値が与えられる。ステージ上に上がって京大のオシャレな人が集まった時点で、それが「オシャレ」だという共通認識ができてしまう。 更にその上で学祭で行うということは、京大全体がその「オシャレ」規範の強化に巻き込まれてしまうということ。狭い空間だけでやればいい。
参加者:オシャレなことが良いという価値基準を持つ事自体が間違っているということ?
参加者:それは個人の自由。しかしそれが、オシャレであることが良いことだという価値基準が容易に外に出せてしまい、それが圧力として与えられるのが問題。
参加者:学祭のステージでショーケース的に並べることで、出ている人だけでなく視界に入ってくるひと皆にオシャレっていいなと思わせることによって受ける精神的苦痛が問題っていうことか?
参 加者:問題の核心はそこではなくて、さっきから規範という話をしていて、イベントというのはいかなるものでも自分たちの考えを相手に伝えるもので、これで イベントをするときにオシャレをした女の子が並んでいると、ああいう舞台でオシャレして見てもらいたいという気持ちがポジティブなものであるということを 強くプレゼンスすることが、社会規範を強化することになると思う。そしてそういう目で見て欲しくないと思っている人たちはいる。
参加者:しかもその規範を戸籍上の女性に結びつけるよね。学内外にそれを女性のあり方として戸籍上の女性を強く提示している。
参加者:(「オシャレなことが良いという価値基準を持つ事自体が間違っているということ?」という質問をした参加者の発言→)僕達も勉強に来ているので…。
参 加者:綺麗な格好をするかしないかという能動的な部分ではなく、その人以外の人が女とはこうあるべきだというメッセージを届けてしまう。他人からの視線の 問題。要は自分の有り様ではなく、外の人の心の動きを強めてしまう。それは自分ではどうしようもない。女性というジェンダーはオシャレすべき、という規範 を強化する。
参加者:戸籍上の女性に限定しなければ問題ないのか?
人たち:それはGRに聞いてみよう。
GR:なぜ女性に限定するのかについて、意図はない。
参加者:もともとミスコンをやろという文脈に問題がある。
GR:そのもともとの文脈を問題にするのか?
参 加者:もともとの文脈は大事である。服装の奇抜さを表現する場として作るとかならともかく、所詮ミスコンの延長であり、批判を受けたからファッションにす れば良い、さらに批判を受けたから、評価をやめたら良いとか、一つひとつ抜けている。いわゆる女性的なオシャレに帰結してしまう。
GR:成り立ちはそうなっているが、結果から見たらどんなファッションでもよいファッションショーになる。
参加者:今の宣伝方法では女性らしいオシャレな人しか集まらない。
参加者:この企画を良くするための議論では。
参加者:だから、戸籍上の女性に限るという点が当初のミスコンの文脈から延々と続いているものだから改善して欲しい。
参加者:女性でも男性でもオシャレな人来て下さい、なら問題ない?
参加者:実際、そうはならない。
参加者:女性でも男性でも自らオシャレしたい人が集まるならいいと思うし、密室でやれよというのも親和性がある。
参加者:前回のディスカッションが全くなかったことになり、しかも(「性自認が女性」から「戸籍上の女性」へ、基準が)より厳しくなってる。その経緯がミスコンに引きずられていると思うから指摘している。
GR:もうミスコンには引きずられていない。

参加者:オシャレさは性にとらわれる必要はないよね。
参加者:女性らしい、男性らしい、という点を強調するならそれは結局性にとらわれたオシャレになる。
GR:この企画は性にとらわれない。
参加者:でも女性に限定しているじゃん。その真意は何?
参加者:結局とらわれている。
参加者:女性の定義については非常に難しい問題であるのに、戸籍上という思考放棄的解決策を取っている。
人たち:基本的に、と書いたらセクシャルマイノリティはどう思うと思うのか。
参加者:宣伝の仕方を変えるべき。
参加者:女性限定という広報でこれまで来ているから、今から変更するのが難しいのでは。
参加者:それについては前回話し合った。
GR:企画に他意はない。
人たち:(GRのひとたちが)何も考えていないというのがよく分かった。前回も全く同じ話をしたのに、意図はないという説明では分からない。
GR:問題ないと判断した。
参加者:説明して。
GR:あなた達の言うようには捉えられなかった。
参加者:捉えられないという事実が社会規範なのでは。それを公衆の面前でやるから社会規範を強化する。あなた一人がとらわれていないのはあなた個人の思想だから関係ないが、NFでやったら強化することになる。
GR:女性がそういう場に出ることで、ステージという一定の責任感やそういうプレゼンスをすることで規範が強化されるということ?
参加者:そうだと何回も言っている。
人 たち:(GRに対して)あなたが考えなくていいのは楽で強い立場。考えざるを得ない立場だってある。自分が着たい服と周りから着た方がいいと思う服が一致 しているのは楽な立場である。あなた達がそういう思考停止をしたまま女の子を集めたらどういうことになるか分からないか?これが「フツー」「当たり前」と いうことを強化してしまう。
参加者:戸籍上、などという文言を安易に使用できる時点でマジョリティに乗っかっていて楽な立場。
GR:気持ちは分かる。そういうのはわかっているが、オシャレな人が自己実現をする機会を奪うのはどうなのか。
参加者:外でやればいい、NFでやらないで。
参加者:クローズドでやってしまえばその女の子達の機会が損なわれてしまう。
参加者:そもそも着たい服と社会から着たらいいと思われる服が一致している人は容認され追認されている。それが一致しない人は、晒されている。その辛い思いを踏まえた上で打つのか、という点が問題になる。それについて結局無自覚なの?
GR:「そっちの主張は理解している」
参加者:公共の場でやりたいと言っているが、迷惑だと感じる人も少なからずいる。そういう人たちは仕方ないからバッサリ切り捨てるということ?
GR:どちらが正しいという問題ではない。
参加者:やりたい人とやりたくない人の関係はイーブンではない。
参加者:オシャレしたい人はいつでもできる。日常でいつもしている。それが社会的に容認されているから、わざわざステージでやる必要はない。
参加者:NFは京大生の祭だが、ある京大生がまたある京大生を切り捨てるようなイベントをやってもいいの?
参加者:そもそもそういう問題意識が上がってこない点で、GRは抑圧的。イケてる学生が増えてきた反面でイケテナイ学生とか、化粧をしていない人が講義に出て来づらくなったりした環境もあるのかもしれない。
参加者:イヤな人がいるのにやるの?
GR:この場で話しても埒が開かないので、もっと大きな場で協議したい。
参加者:どういう場?
GR:日本全体とか?
参加者:まずNFの枠内で考えて。
参加者:例えば、この部屋でタバコがすいたいひとがいたとして、そのひとはタバコ吸いたいけど我慢すべきじゃないのか。
参加者:楽器がうるさいからとかっていうのとどう違うの?
参加者:このファッションショーに関しては、人の尊厳や評価に関わるから問題。楽器の話と同じではない。
人たち:喩え話やめませんか、性質が違う話だし。
GR:それと同じ性質の問題で...
参加者:違うでしょ。
人たち:同じ性質の問題ではない。
GR:それはあくまで一意見。
人たち:戸籍上の女性をオシャレさで自分で自慢してもらうというショーで限定的に考えて欲しい。この企画の話をとりあえずしよう。
GR:僕達としては同じ性質の問題だと思う。
参加者:性的少数者がカミングアウトするのに抵抗があるのは、引かれたり差別されるのに恐怖心があるから。この企画はそれを助長する。
GR:分からない。
参加者:(自分の性自認が)女性であることを検討する人たちがいるが、戸籍上の女性と限定することにはそういった人たちの考えを全て無視する安易さがある。あなた達はそういう人たちが思考に登らないということだが、そういう無思考・無自覚を増強している。
GR:ここでもし自分の考える性を考えた上で応募してきてくださいといえば、もっと助長してしまう。
参加者:性自認の問題があるのを分かっているなら、女性についての定義を自分たちで明らかにしてそれに合致する人を選ぶということをしてみればいい。しかしそんなものは馬鹿馬鹿しいものになってしまうだろう。
参加者:考えると言っても難しいことだが、想像してみて欲しい。
GR:貴方の考える女性とはどういうものか。
参加者:そうやって外から女性をラベル付する行為がイヤ。
GR:自分なりに思っている部分があるのでは。
参加者:もちろん自分は男性だと思っているから男性として振る舞う。女装することに羞恥心もある。
参加者:それを聞いてどうしたいのか。
GR:なんとなく気になったので。論理がどういうものか気になった。
参加者:僕達に論理がないとでも思っているの?
参加者:少なくとも僕は性について考えていて、そういった規範を強化する企画だと思って反対したいから、そしてあなた達はそういった問題に対してずっと無思考だから、それなら中止して欲しいと思ってここにいる。
参加者:代わりに勉強会をするのはとてもいいこと。学生の本分は議論だし。

参加者:ここまでの話し合いを踏まえて、女性に固執する理由は?
GR:僕個人、勉強不足だが、京大全体で見て女性が少ないというのがあって、9月くらいから初めて時間も人も足りなくて、ミスコンをやろうとした。
参加者:だから、こういう問題が出てきてるけど、なんで女性に限定するの?
参加者:企画を作っていく段階の自然な流れでと先ほどは言っていた。女性に限定する点に特に理由はないと。今日の話を経てどう考えが変わったのか?
参加者:理由が必要か不必要かも踏まえて。
参加者:理由っていうのは前もってあるものではないの?
参加者:さっきからないっていう話だったからな...。

NFO:15分休憩


参加者:質問に答えて。
GR:変更する必要はないと考えていたし、今でも考えている。
参加者:理由は?
GR:基本的に戸籍上、とさせていただいているが、実際には・・戸籍上は男性で性自認が女性という人に関しても配慮するつもり。
参加者:なぜ頑なに女性なの?
GR:女性以外に広げる意味もない。
人たち:自分がどちらであるかを選ばない人もいるが、その上でなぜ女性か?ファッションで表現する場なら、女性に限定しなくても意図と矛盾しない。
GR:自分のファッションのオシャレさをアピールしたいけど、女性に限定しているから出られなくなる人もいるということ?
人たち:そう。
GR:それは新しい議論。
参加者:ずっと同じ議論。
GR:今までそういう方から出たいという声もなかった。
人たち:その宣伝方法では当たり前。
人 たち:外見で女性男性と判断されたり、自分で判断したり、二分法で判断されることがイヤだと思う人をどうして排除するのか。しかもそういう人たちは自分で は言い難いということをわかっているよね?普通だと言われていること以外のことをするって、圧力があって、親しい人からも聞かれるし、自分の体験や心情や を晒す必要が出てきてしまう。そういう人たちが仮に出てきたとして、何も考えていないようなあなたたちに吐露出来るわけがない。どうしてそこまで頑なに女 性に固執するのか。
GR:じゃあ男女両方にすれば差別性がなくなる訳?
人たち:今話してる件に関しては。
参加者:男女、じゃなくて、誰でも。
GR:じゃあそうすればあなた達が言っている差別性は解決する?
人たち:何が解決すると思う?
GR:戸籍上の女性という縛りをなくせば、出にくいと思っている人が出られるようになる。
人たち:前回も全く同じ話し合いをしていて、一週間あって話し合う時間もあったと思うが。
GR:この前は見る見られるの問題が主眼であった。今は男女二元論の問題になった。
参加者:主眼の問題以外は考えなくていいの?
GR:この話し合いはお互いが納得する点を探っていると思うので、これが妥協案になればそれでいいですよね。
人たち:はい。
人たち:京大生の女性であれば誰でもいいと書いていたのに、戸籍上という表記に変えたのは?
GR:誤解を生んだなら申し訳ない。
人たち:一貫して募集しているのは広い意味で「女性」であったけど、今回「戸籍上の」と限定したわけですね?そしてこれに関しては・・
GR:限定を外せば差別性が解消されると話し合いでなっているということ。
参加者:それは確定か?
GR:持ち帰って検討する。
参加者:前回も反故にされてるし、信用できないから今約束して。
人たち:他の人たちに説明するさいに自信がなければ、協力することはできる。
GR:たしかに自分たちよりはこの問題についての考えがあるので、協力してほしい部分もあるが、一度休憩というか歓談を挟んで2人で話し合いたい。

(休憩)

NFO:再開。
GR:いまの条件なら基本的に戸籍上の女性という表現だが、それだと戸籍上は男性でも性自認が女性だという方は排除されているという問題であった。表現について僕達は浅はかなので考えて欲しい。
人たち:「どんな性を生きる方でも」とか。
参加者:その考えは結局他意がある。
人たち:戸籍がどうであろうと、ジェンダーが女性である人に結局集約したいの?
参加者:今までの話は何だったの?またその話をする?
人たち:だからどんな性の方でもと性の枠組みを取り払おうという話だった。
参加者:あなた達の意図で、出れる人はどういう格好をしていると想定している?ステージに出る時点で評価対象になると思うが、どのような性を生きる人であっても、受け入れるつもり?
GR:もともと自身がオシャレだと思う格好で出てもらう予定。こちらから限定しない。
参加者:その上で女性というファクターに固執しているが、それはどういうつもり?
人たち:え、結局、女性に限りたいの?ここまできて?
GR:男性を募っても困らないが、困るとしたら既に広報している点。
参加者:出ますよ、NFを盛り上げるために協力します。
参加者:労力の問題が大きいのであれば、手伝う人がいますよ。
GR:人数制限を掛けないので、30~40人集めたいから全然足りない。現時点で10人。
人たち:前回の話し合いの時点で4名の応募があったので、話し合いの結果ここから募集を掛けないという約束をしたはずだが、その6名はそれ以降連絡があったの?話し合いの経緯は伝えたのか?
GR:経緯説明はした。
人たち:どのように?
GR:自分達のわかっている範囲で伝えた。その上で本人の了承がある。
参加者:Web上にデータがあるなら、今見せて。
GR: モデルにアンケート形式で意見を聞いた。先日ご連絡させていただいた通り企画について再検討している。反対側の主張として、ステージ上のモデル達はファッ ションショーといえども実際には男たちに性的対象として見られ、それは女性が男性に消費される社会構造、女性はこうあるべきだと差別を助長するという主張 や、京大No.1NO1オシャレガールを決めるということは、オシャレなファッションを序列化し、全女性はNo.1No1に選ばれたオシャレを目指さなけ ればいけなくなり、オシャレを強要することになってしまう。その上で質問、なぜKGCに出演したい?審査によりNo.1No1を決めることをどう思う?反 対側の意見をどう思う?反対側に絡まれて厄介なことになっている現状でも出演したいと思うか?KGCの実現に向けてご協お願いします。
参加者:主催者は、反対意見があっても参加したいと思っているのであれば問題がないのであればいいと思っている?アンケートの目的は?
GR:出演の確認、出演してくれるモデルが何を考えているか、を知りたくて。
参加者:募集は止めるのでは?
人たち:広報はしてないけど向こうから来たという言い分なのでは。
参加者:過去のものが残っているなら応募は止まっていない。
参加者:普通は既に広報している媒体で応募は止まっているということを明言しないと応募を止めているとは言わない。
人たち:アンケートの回答を踏まえ、内容を見なおして出てきたということ?
GR:はい。
人たち:実現に向けて、元々出たい人の意見を募ったということ?
GR:それと、前回の話し合いを踏まえて。
参加者:踏まえて欲しいのは、そこに出演するモデルの意見が企画に対して肯定的なものであったとしても、それだけにフォーカスして欲しくないということ。
GR:わきまえている。
人たち:公募対象を変更するか?
参加者:対象を変えることを告知し、名称を変更するだけでできる労力なら、そんなに悩まないのでは。
GR:労力で言えばそれで済むが…
参加者:じゃあそれでいいやろ。
人たち:他にも守りたい部分があるの?
GR:当日の企画内容もかなり変わるし…
参加者:問題があったから変える、と言えば良いし、それが筋。
参加者:洋服を着て出てくるだけなら、大して変わらないのでは。
参加者:懸念はイベントの商品価値?
GR:出演者のモデルと意見のすり合わせができている現状、ここでの話し合いだけで主旨を変更するのは彼女達に迷惑がかかる。
参加者:それは断りを入れれば済むこと。
参加者:それは主催者の責任。ここで言うことではない。
参加者:それを理由にここでの話し合いを蔑ろにするのはおかしい。
人たち:出たい人に対して、今女性だけで出るという前提が[出たい人に]あると思うが、誰でもいいという状態を想定していない訳だから、[だれでも参加できることになれば、参加に]忌避感を抱くかもしれないということか。
GR:休憩を挟んで検討したい。
人たち:どちらの判断をするにしても責任を取るということを覚えておいて。

(休憩)

GR:女性に限定する問題。批判覚悟で。 僕達がやりたいことのイメージとして、TGCのようにいろんな女性が華やかでオシャレな服装を着て、ステージ全体に華やかさを提供して観客の方々にもそれ を楽しんで欲しいというものがある。そこについては妥協できない。どんな性を生きる人でも、とか段ボールファッションでもとなると、僕達が思っているよう なイベントにはならないからそうはしたくない。そうすると、いろんな意味で女性とは言っても、「女性」という言葉を使った段階で差別性を発揮してしまうこ とは理解しているが、僕達はやっぱりこういうことがやりたいし、NFOからもこの企画は公序良俗に反していないと思うので、やはり女性を対象にした企画と いう部分は曲げられない。
人たち:とても残念です。
参加者:TGCのパロディをやりたいの?
GR:そうです。
参加者:なぜTGCにしたの?
GR:大きな、女性限定のファッションショーであるから。
参加者:NFにTGCを持ち込むこと自体が好ましくない。商業主義と絡む可能性が高い。
GR:TGCはイメージとして言っているだけで、そのような事実はない。
参加者:TがKに変わっただけで、TGCに近いものに行われるように思われること自体が問題では。
GR:イメージより結果が大事なのでは?
参加者:今はそう言っていても、来年以降、企業が絡んでくる布石とも見える。
GR:それは憶測でしかない。少なくとも今年度はないし、NFOからもスポンサーについてはダメと言われている。
参加者:結局女性の華やかさに頼ってやりたいみたいだが、本当にオシャレを追求するなら、出演者が自分のオシャレの感覚で考える奇抜なファッションでもいいのでは。
GR:TGCのようなイメージを変えたくないからそういうのは認められない。
人たち:オシャレ=自己表現と言っているが、これは自己表現というよりも性的対象としての女を表現するということですね。
人たち:それは結局、ファッションを性別に結びつけたイメージで語っており女性に対する抑圧的な服装の規範を再生産している、という自覚があるか?
GR:TGCのような華やかさ格好良さに企画の全体像をフォーカスしているのは事実。企画が助長するというふうには私たちは考えていない。
参加者:さっき、女性に固執する理由はないと言っていたが、それとは完全に矛盾している。どうして嘘をつくの?今までの話し合いはなんだと思っている?
参加者:結局TGCの規格から離れたくないと言っているが、それ自体が自主性も感じられないし認められない。
参加者:嘘をついて来た点について釈明して欲しい。
GR:差別性を助長するという点が僕達には全く理解できない。コストの問題も実際あるが、具体的にどんな性を生きる方というのを対象にして想像してみた場合、僕達が当初思っていたものとは違うものになってしまうということに気付いて、やりたいことと外れるのでイヤ。
参加者:やりたいというのは、NFで今年是非やりたい、という意味?
参加者:これだけ反対意見があって、泣いて抗議する人もいて、それでもやりたいということ?
GR:そうです。やりたいし、やって欲しいと言っている人たちもいる。
参加者:結局やりたいのは自分たちなんだから、ごまかさなくていい。
GR:やりたいのは僕達。そしてやって欲しいという人たちもいます。
参加者:それは差別主義者だということを公言するということだね。
人たち:僕たちの見たいファッションを着た、僕たちの見たい女の子たちを並べたいということを言っている。それを素直に認めることもなく労力の問題や出たいモデルに転嫁する。
GR:戸籍上の女性という点では、今まで考えてなかったこともあったと認識したが、それでもこの企画は自分たちがNFを盛り上げたいと思い、それと僕たちのやりたいことを合わせた結果、こういう企画になって、そこでどうしても譲りきれないところがある。
人たち:やるなら、自分たちが差別的なことをしているということはせめて認識して欲しい。
GR:僕達は、自分たちが差別しているということは認めない。
人たち:そこは意見を擦り合わせたいから、(GRの)一人ずつどうぞ。
GR: 僕の考える、このイベントに差別性のない理由を話す。女性に限定するしないの話であったが、この企画に参加したい方が、どのような性自認であったとして も、戸籍上の女性でなければ出られないというのは、企画が差別しているというふうには考えない。企画の対象ではないというだけで・・・
人たち:それが差別だと言っている。
人たち:会社が女性を取りません、って言ったらそれは性差別でしょ?
GR:企業が必要な人材を求めた結果。
人たち:性別で求める人材を決めるのは差別では。
人たち:必要な人材が性別によって分かれると?ファッションができるのは女性であり、(他者から)見られるべきは女性であり、あなたたちが眺めたいのは女性であるということですよね。
GR:そこまでは言ってない。
人たち:言い過ぎました。言い直して頂ければと(思います)、どういうことだったんですか?
GR:企業が男性を求めるのは恐らく理由がある。
参加者:説明して。
GR:ものすごく力が必要な場合なら・・・
参加者:女のひとだって力がある場合があるだろう。
GR:そうなんですが、しかしものすごく力が必要な場合は男性に限定するかも。
人たち:結局それがあなたが(男性は)こうあるべき規範を押し付けているということでしょう?
GR:男女で分けたとして、女性は男性には持っていない美しさというものがあって、それはひとつの強みであって、だからこそその強みを活かすような職業が女性に適していて、
参加者:白人が黒人を差別する優生学の論理と変わらない。レイシストと呼びたい。
参加者:あなたの言い続けていることが、一般的に受け入れられるものではないし、ここにいる多くの人達を傷つけているということは自覚して。
GR:意見を求められたので率直に答えた。
人たち:死にたいほど辛い。どうしてそういうことが言えるの?
GR:考え方が違うのは明らかで、僕の意見で傷つく人がいることは承知している。
人 たち:それで自分の言葉で死にたいというほど傷つく人が出てくるけど、あなたはそれには責任を負わないということなんですね?あなたの言っていることはそ ういうことですよ。100%傷つけてしまうと言える(言い切れる)のは、死にたいというほど傷つく人がいても仕方がないといっているのことと同じなんです よ。
GR:これはそれぞれの意見で何が正しいかとかではないと思う。
参加者:そういう話をしているのではなくて、あなたが人の痛みを想像できていないという話。
参加者:議論は終わりだ。レイシストを排除する方向に行くべきだ。
人たち:いや、待ってください。考える必要があると思うんですよ。
参加者:議論はもう少し続ける。
参加者:表現の自由について。それはその自由が行使できない人のためにある。弱者が声を挙げられないときに保証するためにあるものであって、君たちのように既に唱えられている表現の自由を認めるものではない。表現の自由は、あなたたちのための権利ではない。
GR:マイノリティなら表現の自由を濫用乱用してもいいということ?
参加者:濫用乱用とかではない。
参加者:言葉に気をつけて。
GR:抑圧されている人だけが表現の自由があるということ?
参加者:「だけ」とかではなくて、表現の自由とは、表現の自由がもともと奪われている人たちに、言っても良い権利を保証するものであり、既に自由に言っている人達に批判を受け付けさせないために認めるものではない。
GR:NFOにも許可されている。
参加者:NFOからの許可を理由に出さないで。NFOの権威を振りかざして語られるのはいい加減不愉快。
人たち:NFOが許可するか否かはどうでもいい問題。
GR:僕らに企画をやる自由はないのか?
参加者:人を傷つける自由はあるの?
GR:公序良俗など法律で規定されている。
参加者:それだけが大事な基準ではない。実際にこれだけ傷つけている。それでもやりたい?
GR:そうですね。
参加者:あなた方のような価値観の人たちがミスコンなんかやってる社会で僕たちの表現の自由が奪われてきた。それをまたやるつもり?
GR:表現の自由が奪われるとは?
参加者:女性らしい格好を押し付けるという点。女性らしくない格好での出演は認めない点。
人たち:分かりやすく言えば、(企画は)段ボールファッションという表現の自由を制限した。表現の自由を強調するなら、いろんな、そういう(段ボール)衣装も歓迎だという話になる。
GR:2004年にミスコンができなかったことを踏まえて、今回新しいことをやろうと思った。僕達はこんなに反対されても頑張ってるから、むしろ僕達こそ表現の自由を認められるべきだ。
参加者:差別表現に自由はない。
人たち:反対してるだけで私たちを圧力団体に見えてるでしょう?
GR:そう思えないことはない。
参加者:社会でこういうことが平気で行われていて、そういうことを見過ごしてきた社会があなた達の背後にはあるのでは?ミスコンをやりたいということと、セクシャルマイノリティを公言することは、等価ではない。
GR:セクマイで苦しんでいない人だっている。
参加者:何を言いたいのか?当たり前。
GR:苦しんでないひとはどうして苦しんでいないのか。
参加者:それは個人で折り合いをつけているから。公言している人もいるよ。でも一般的に公言しにくい。職業の差別もある。
GR:差別を受けて歯を食いしばって頑張っている人もいる。
参加者:いるからなんなんですか?
GR:そういう人は素晴らしいではないか。
参加者:だから差別の構造は温存すべきで、自分たちはその差別性を強化する側にいたいということ?
人たち:素晴らしいから歯を食いしばって頑張れと言っているのか?
GR:でもそういう人たちも・・・
参加者:あなたはいったい誰なのか?そんなこと偉そうに言えるけど。
参加者:では差別されていて努力していない人を批判したいの?
GR:そういうわけではない。個人の行動の結果というまで。
GR:確かに私たちのやることを差別的だとおっしゃる人たちがいて、
人たち:差別的ではなくて差別です。
GR:差別だとおっしゃる人たちがいて、でも私たちは考え方が違って差別性はないと判断していて、だからやりたい。
参加者:苦しい、哀しい、と言った個人の意見は間違っていると言いたいんだね?
GR:間違っていると言わないが、そういう考え方の人もいるという。
人たち:差別表現は個人の価値観によると?
GR:そうです。
人たち:差別って何だろうとちゃんとつめないと駄目ですよ。差別について、考えが違うと言って逃げないで、ちゃんと考えて。
GR:状況を整理しただけ。あなた達が差別だと言っても、僕たちは差別性はないと思ってるしNFOから許可が出てる以上やりたい。
参加者:NFOの意見が聞きたい。
人たち:NFOが許すか許さないかという話をここでしたいわけではない。事務局とはまた別に(人たちと)話し合いをしたいと思っている。GRの主催者の意見を聞きたい。
人たち:考えが違うから、で済ませられる自分のことを問い詰めてみて。
参加者:自分がとっても嫌なことをされた場合、どう感じる?
GR:内容による。
GR:直接的、間接的による。差別性なんて間接的なもの。
参加者:直接的なもの。
参加者:自分がやろうとしていることをイヤだと言う人がいたら、自分を省みるべきでしょ?
GR:それこそ客観的に判断すべきだ。
参加者:客観的とは?
GR:たとえばこの企画をみて、差別性があるかどうか投票で・・・
人たち:投票じゃなくて話し合うんだよ。
参加者:多数決の論理が正しいと?
GR:いやそうじゃないですけど。
参加者:同じことですよ。
GR:ここで1対1で話し合うことに意味はないというか・・・
参 加者:あなたのいう客観的な解決というのは多数決だが、ここで問題になっているのはマイノリティ側の意見。マイノリティが何故苦しいのかというと多数の支 持を得られないから。多数決をとって多数の側に回らない人たちがマイノリティ。どうしてここまで話してきて多数決の論理で解決しようとするのか理解できな い。
参加者:マイノリティだから多数決で排除しようとするのは結局差別主義である。
人たち:ちょっと考える時間を取ろう。
参加者:多数決の解決策がここで出てきたということは、おそらく意識の根底に多数派のやることが正しいという意識があるはず。そこについてもう一度しっかり考えて欲しい。

NFO:休憩。

参加者:先程熱くなってKGCをレイシスト呼ばわりしたことは謝罪するが、このまま話し合いを続けても分かり合えることはないと思う。それならルールに従って排除するというように進めていくべきだと思う。
NFO:KGCの回答から。
GR:世の中に誰でもがよしと思う事象は存在しないと思っている。一方から見れば良い、他方から見れば悪いということが存在している。なので意見を擦り合わせることは無理だろう。
人たち:あなたたちは前提としてフラットな人間関係、対等な関係においての話をしている。私たちはその前提を考えなおして欲しいと言っている。
人たち:どのように考えてそのような回答になったのか。
GR: 僕たちは実際にこの企画をやることで傷つく人がいることを聞いて心が揺れるところもあった。でも僕達がやりたかった企画であり、やってほしいという人達が いる。傷つく人がいることも分かったが、僕達自身が大切にしたいものを実行するという意味で、企画を実施するという結論になった。
参加者:傷ついている人たちを踏みにじるということか。
GR:そうですね。
参加者:じゃああなたたちの企画は差別だということを認めたんですね。
GR:それは違います。
参加者:じゃあ差別って何?なぜ差別は悪いと思う?そもそも差別が悪いと思ってないでしょ。
GR:差別は悪いと思っている。
参加者:差別は悪いと言葉では言っても、その差別って存在しないものだと思ってませんか?
GR:そんなことはない。
参加者:では具体的にどうぞ。そしてあなたのあげる具体的な差別とあなたがやろうとしていることのどこが違うのかも述べてほしい。
GR:僕が考える差別は、ある人が、自分より劣った誰かに対して、物理的精神的にダメージを与えること。今回のイベントは、自分から出たいと言っている女性が出て、見たいと思っている人が見るイベント。どこが差別的なのか分からない。
参加者:劣ったという意味は字義通りで良かったか。
GR:その人から見て劣ったというか、一般的に考えられる概念としての劣ったかはケースバイケースだが、そうです。。
参加者:黒人差別において、黒人は劣ってるとされていた。しかし実際そうではないし、改められている。劣っているというのは明らかな事実として存在するのか。
参加者:たとえば何を劣っていると思うの?
人たち:劣っていると思う事自体が差別ではないか?。
人たち:劣っている/優れているということを生み出しているのが今まで行ってきた規範の話だ。具体的に何を劣っていると考えているのか聞くのもしんどい。
GR:僕の思う差別は、黒人/白人を例にとれば、黒人はかくあるべきだという偏見があって、その偏見をもつ時点で差別。
参加者:では女性はこういうふうに振る舞うべきだという事をするのも差別では。
GR:KGCではそういう主張はしていない。ファッションにフォーカスしているだけで評価はしていない。
人たち:どうしてもTGCみたいな「おしゃれ」な女性を並べて「華やかで」にしたいのに?
参加者:オシャレで華やかな女性を称揚するのは、女性はかくあるべきと言っていることと同じ。
GR:オシャレにフォーカスしているだけで、他と比べているわけではない。
参加者:女性が華やかであれという規範をあなたたちは受け入れていて、それに無自覚なのではないか。
GR:華やかであれという規範は受け入れてはないが、華やかな部分にフォーカスしたイベントであるだけ。たとえばファッションにABCDという部類があれば私たちはAにフォーカスしているだけでBCが悪いとかではない。
参加者:でもTGCはある特定のファッションの部類を良いとするものではないか。
GR:TGCは幅広いファッションを扱ってると思うし、ファッションの序列化はしていないと思う。
参加者:自覚的に序列化していなくてもそういう機能はある。特定のものに価値があり、触れられなかったものについては価値がないという意味合いも発しているのでは。
GR:観客はそんな風には受け止めないと思う。
参加者:もしじゃあ参加者が寝間着で来たら?
GR:それは来ないと思う。
参加者:ということは、やはり何か企画の前提として、ある考えがあるのでは。企画をやるというのは、ある特定のメッセージを発していくことではないか。
GR:前提としているのはファッションA、華やかなイメージの企画。
参加者:ヒエラルキーがあるという発想があまりないのでは。ファッションABCDとして取り上げられるものがある一方で、取り上げられないものは下位に置かれている。
参 加者:先程の話でも出たが、就職などの話でも見た目で貶められた人がいるということをあまり認識してないのでは。評価される人のほうにばかりフォーカスさ れている。日常でも見た目で評価されることはよくあること。今では派遣登録でも事前面接がないのはそのような外見差別があったからこそ法で規制された。そ ういうことに鈍感である人たちに安易にNFで企画をしてほしくない。
GR:僕も外見で乏しめられるような経験はある。
参加者:そういう次元から考えていこうよ。
人たち:一つ質問だが見た目で劣っていることが嫌な人は頑張ったらいいと思うか?
GR:そう思う。
人たち:だそうです。・・・ヘイトスピーチですね。
GR:自分自身痩せていて筋肉もないので、もっと筋肉があったほうが魅力的だとかそういう発言をされてきた。でももし魅力的に思われたければ自分が努力すれば良い話だと考えている。または他の部分で魅力的に思ってもらうように努力してもいいと思う。
人たち:強みがなかったら生きていけないと言っているんですね。
参加者:おしゃれに気を使うという経験を今までしてきてとても嫌だった。おしゃれかどうかという部分を評価されてきた。そういう部分で評価しないでほしい。
GR:僕はおしゃれをしないといけないという強迫観念を感じる必要はないと思う。社会がどうとかではなく、自分で評価して欲しい部分を伸ばしていけば良い。
参加者:性やおしゃれに関して、自分ですべて選択できるという前提に立っていると思うがそれは出来ないと思う。人間はそんなに自由じゃない。筋肉の話でもそうだが、個人の中ですべて感情を処理して退けないといけないのか。その責任は個人にあるのか?
GR:個人にもあって、なんでも社会のせいにするのはよくない。個人の努力も必要。
参加者:例えば性自認ははっきりしているがそれが戸籍の性別とことなるとき、性自認は女性だが戸籍上男性の人がスカートを履きたいと思っても自由に履けるのか?
GR:その話はよく分かるが、今回の企画とは関係ない。
参加者:いや、関係ある。
参加者:自分ですべて解決すべきだという発想がどれほどひどいか分かってほしい。
参加者:差別についての考え方が稚拙。男女という分け方も自明だと思っているのではないか。差別はそういう自明性に基づいているもので、そこを考えなおして欲しいと言っている。
参加者:その自明性というのが規範と結びついている。自明性から外れるということはとても大変なこと。そこから外れた欲求を規範に載せようとすることはものすごいエネルギーを要するので。
GR:僕たちはこの企画がその規範を助長するものではないと考えている。いろんなファッションがあって、どれかが優れているという判断をされることはないと思う。
人たち:女性に限定することについてさっき考えて、結局限定することになったのは、やはり女性で募集すればなんらかの特定のファッションが集まるという限定があるからではないか。
GR:どれか一つにフォーカスしただけで、どれかが優れているという意図はない。
人たち:でも女性限定にしたらそういうファッションの人が集まるという意図があったのでは。
GR:華やかにしたいだけでそういう意図はない。TGCのように華やかなファッションに興味がある女性が集まると考えた。
人たち:当日「華やか」ではない女性が来たらどうするか。
GR:企画の趣旨とは異なるが、強制はできないだろう。
人たち:自分がこの企画にそぐうという風に思う女性だけが参加できるという意味合いを感じたがどういうことか。
GR:イベントのイメージを伝えているので、それに合うと自分で思う女性が来ると思う。この企画に賛同する女性に集まって欲しいということ。
参加者:それが規範ということそのもの。
人たち:先程のコンプレックスの話を出来たらと思う。コンプレックスは自分でカバーしていけるという話だった。他人から「筋肉があるべき」と言われることについて嫌だ、ほっといてほしいとは思わないか。
GR:それは嫌だと思う。
人 たち:私自身もそれと同じで、ファッションとかおしゃれとかと言われるとほっといてほしいと思う。女性は多くの場面でそういう評価を受けている。おしゃれ で華やかな女性を集めると言われた時、必ずそうでない自分、舞台に上がれない自分というのを想像してしまうし、思いつめてしまう。舞台に上がる人達がいる 一方でそうでない人達がいるということにもう少し配慮して欲しい。集めたいという気持ちは伝わってくるが、そのことで居られなくなるひとのことを考えてほ しい。
GR:それはわかっているがこの企画にはそぐわないということ。
参加者:企画にそぐわないとかではなく、企画によって傷つくと言っている人たちが現にいる。規範を再生産してほしくないと言っている。
参 加者:あなた方はこのファッションが華やかなものとして自分で選んだ気になっているが、社会ではすでにそれが序列づけられている。そしてそのファッション は僕らを放っておいてくれない。ほかのファッションを主張すれば良いというが、社会はそんなに甘くない。そういう中で生きて傷ついている。
人たち:本当に、毎日がAやBやCのファッションショーですよ。ステージなんかわざわざ設けなくとも・・・。
参加者:だからそれを再生産してほしくないといっているんですよ。
参加者:再生産という言葉の意味も(GRは)分かって使っているのか?どこまで考えているの?
人 たち:再生産ということの意味だが、当日に舞台に華やかな女性が上がりそれを男性たちが見るという構図を考えると、舞台に上がった女性はちやほやされると いうことが容易に想像できる。舞台に上がった人と自分がいる場所は別ではないし切り離せない。そこで私は嫌な気持ちになるということは容易に想像できる。
GR:自分よりおしゃれな女性がちやほやされるのが辛いということか。
人たち:いかにも賞賛されるようなスタイルがあって、自分がそうでないという自覚があるとき、悲しくなるし辛いという意味。
GR:ステージはひとつのフィールドであって、別の場だと思う。
参加者:公共の場というのは主催者と参加者と聴衆だけの場ではない。もっと社会に繋がった場である。
GR:ステージ上の女性と同様のファッションでなければならないという強迫観念を受けるのがイヤということか。
人たち:そうです。それは単に気の持ちようで済まされることではなく、厳然と常に私たちが晒されているという事情がある。
参加者:社会にある強迫観念、価値判断をクローズアップ・再生産しているということ。
人たち:NFでは新しいかもしれないが、こういうイベント自体はものすごく古典的なもの。性的な規範を気にしなくてよく、それぞれがしたい格好をできたら良いと思う。それがなぜ女性だけでないとダメなのかと思うし、もっと面白く出来るはずと思う。
参加者:社会的な規範、それに付随する差別というものをなくそうとは考えないのか。
GR:なくしたいという気持ちはあるが、この企画にその差別性がつながっているというのが理解できない。
参 加者:つながりが分からないというが、私はこういうイベントがある事自体がおかしいという感覚がある。ステージ上にかわいい女の子が並び、それを見るとい う構図。かわいいとかブスとか観客は評価をしているという場。自分はそういう場に行きたくもない。そういう場を再生産しているということがわからないの か。
GR:自分を見て欲しいという女性が出るだけで、モデルは評価を求めている。注目を浴びたいと考えているので。
人たち:出たいという人がどういう意図で出ようとも、観客側でそういう反応を示すということが容易に想像できないのか?
GR:それを出演するモデルたちも求めている。
参加者:モデルがどうしたいとかいうのは、君たちがいえることではない。
参 加者:世の中にあるかわいい・かわいくないの基準はある程度の傾向性があって、個人の美醜の感覚で判断されるとは考えられない。世の中にあるそういう規 範、価値観にのっとってイベントをしている。それがつながりという意味。人の美醜判断はどういう風に形成されているか考えて欲しい。
GR:確かに美醜の判断には傾向性があると思う。
参加者:その傾向性がどういう風に働くか考えるべき。
参加者:イベントをするということは、TGCで称揚されているような価値観を強めるということ。誰でも通りうる場所でかわいい・ブスといった気持ち悪い会話が再生産されることが問題。
参加者:おしゃれとかわいいという価値判断が繋がっているということはわかっているか。雑誌でも日々再生産されていること。
GR:今回の企画はオシャレさがテーマで容姿は判断しないので…。
参加者:実際舞台に上る人というのは、容姿が良いという判断をくだされた人だけ。
人 たち:舞台に上がれない、イベントにいたくない、いれないという人がいるというのは排除。自由を奪われている人がいるということ。あなたがたにもモデルで あったりと色々と護りたいものがあるんだと思う。でもそこで差別に反対したいというのであれば、考えて欲しいこととして、差別に反対するとは、「意見の違 い」という次元におくのではなくて、規範にのれない人、劣位に置かれる人の方(の自由)を選択するということだと思うんですよ。
GR:おしゃれをしてその点を評価されたい、出場したいけれどもできない人がいるということか
参加者:違う。
参加者:出たい人がいるということはそもそも大した問題ではない。そもそも君たちが募集しただけ。出たい人の問題ではなくて募集している君たちの問題。
GR:順序の問題で、もともと出たいという欲求はあったと思う。
参加者:女の子が一般的にどういう目に晒されているか、どういう状況に置かれているかを考えて欲しい。イベントに参加している人もそうでない人も社会の基準でかわいいとか価値判断されたくないはず。
参加者:ステージにあがれるという時点で既に選抜されているし、ここにいるひとたちも既に判断されていて、評価判断されているのは出たいと思っている人たちだけではない。
人たち:社会の目、規範が、自分をステージ上に上がらせてくれないということ。そういう機会が企画によってもう1回増えるんですよ。そしてその1回増えるだけでも、大きいこういうイベントで何人もの人が傷つく。規範を押し付けない自由なイベントだったらいいのにと思うが。
参加者:社会的な規範、おしゃれはこうあるべきだという考えを打破していくべきという認識はあるか。
GR:今はじめて考えた。
参加者:公共の場、NFでやるということは社会的な影響を持つということをわかっているか。なぜNFにこだわるのか?
GR:どこでやっても同じではないか。
参加者:質的には同じだが、NFでやられるとより嫌。翌日から学校で何番目の女の子が可愛かったみたいな話題になれば学校にも行きたくなくなる。ステージでやるとはそういうこと。NFを京大を社会をそういう場所にしていく。
参加者:慶応のミスコンなどを考えても分かるはず。
GR:影響があることはそれは分かる。
参加者:先程から傷ついている人たちがいるということに対して、何の回答もしていないし聞き流している。そこについて不誠実だと思わないか。
人たち:こちらの言っていることが少しずつ伝わっている感じもあるので、ちゃんと考えて欲しい。
NFO:休憩


NFO:再開
GR:やはりKGCとしては、世の中にいる人を今回の企画の対象になる人と対象にならない人で結果として分けてしまうということに問題性を感じなくて、今回の企画の対象となった人が正義で、対象になる人じゃないと評価されないということにはならないと思う。
参加者:先程の答えは?
GR:質問を覚えていないので答えて欲しい。
参加者:NFOからどうぞ。
参加者:何のための休憩だったの?何を考えるための休憩だった?
GR:何を考えるべきか教えてください。
参加者:こちらからの声に対して回答になっていなかったから、回答して欲しいということだった。
GR:今の発言が回答になると思った。
参加者:質問者の問に答えていない。
人たち:それは君たちのスタンスの話であって、その後彼の質問について答えるのが筋。
GR:いろんな質問があって、そのうちひとつの答え。このように目の前で苦しんでいる人たちがいてもその企画を行うのか、ということ?
参加者:僕は、この場で出された様々な問に対してここ1時間くらい全く答えていないから、それを指摘した。
GR:そういう人たちを傷つけることになると思ったから言わなかった。
参 加者:ここであなた達の話を聞いている人たちに対しての配慮が足りない。感覚がずれているながらも、どうにか糸口を見つけるために今日話しているので、も ちろん完全に擦り合うとは思わないけど、そして傷つけると思うならそれに配慮もすべきだけど、それでも見解を述べていかないと議論にならない。
GR:先ほど、ある女性から私は出たいけど出られないという、無意識に選抜の対象になるのが辛いという話があった。こちらの意見としては、服装はそれぞれの努力で評価される方に近づけることができるし…。
参加者:つまりあなた達の言っているのは、努力しろ、って言ってるのでしょう?
GR:評価されたいなら努力すべきだと思う。
参加者:先程から、自分は出たいのに出られない人がいると言っていたがそれは本人が努力すべき、と言っていて、とっても上から目線で不快。
GR:評価されたいなら評価されるように努力すればいい。
参加者:なんであなた達の価値観で判断されなければいけないの?
参加者:あなた達の基準を押し付けないで。
参加者:女性の方が圧倒的に外見で判断される機会が多い。
GR:それは男性も同じ。
参加者:違う、圧倒的に機会が違うでしょ。
参加者:ミスターコンよりミスコンの方が多かったり、いろいろ女性の方が外見で判断される局面が多い。
参加者:TVであっても、外見が良ければモデルやらできるけど、外見に自信がなければお笑い芸人とかになって開き直るしかないような、そういう現実がある。
参 加者:女性は化粧をしたり、学校や会社でそれなりの装いを求められたりする。男性の外見への要請と女性の外見への要請では、圧倒的に後者の方が多い。あな た達もその流れでKGCをやろうとしている。あなた達の経験は分からないけど、女性にとってこのイベントが如何に抑圧的かということを自覚して欲しい。
参加者:女性と男性の非対称性はないと言ってたが、化粧はその反例になる。今の発言は間違いだったのでは?
GR:うーん?
参加者:女の人だけに、面接に受かりやすい化粧の講座などがあるのも知っている?化粧とかしたことある?
GR:その質問に何の関連があるの?
参加者:非対称性を認識してもらうための説明。化粧のスキルを上げることが求められる。時間的コストもある。
GR:そんなの努力すればいい。
参加者:例えば女性は、化粧が上手くないと就職に影響があったりする、ということ。つまり男女間で外見に対して求められることは全く非対称。
人たち:化粧がしたい、したくないなんて選べない。例えばすっぴんで(就活の)面接に行って、「どうしてすっぴんなの?」って聞かれるし、その後社会人なのだから”きちんと”化粧しろって言われる。そういうことが想像できるか?
GR:例えば男性が就職の際に求められることだってあるのでは。
参加者:それはそうだけどそこに何の関係があるのか。
参加者:なんでも相対化するのをやめて。今は女性の装いに求められるコストの話。
GR:大きさの問題ではない。
参加者:この場に出てくるだけでしんどい思いをしている人が目の前にいることをもっと分かってほしい。
参加者:男性にも求められることがあって、女性にも求められることがあって、だからイーブンだということ?
GR:そうではない。ただ女性ばかりが差別を受けているわけではない。それにやっぱり女性は化粧をすべきだと思っている。
参加者:信じられない。
GR:面接の場で評価されたいと思っている女性は、評価されたいと思っているからこそ、そこにある程度従う必要があるとは思う。
人たち:あなたたちにとって女性は、評価されたいから化粧をしてる、なんですね。化粧をしなければ土俵にもあげられない状況を、評価されたいから化粧をしたがってるみたいに矮小化しないで欲しい。ほとんど選択の自由がないと言っているの。
GR:社会的規範要請の全てが悪いとは思っていない。化粧をすることの良い悪いは個人的には分からないが、そういう社会的規範がある以上それに従うのが筋。
参加者:イーブンじゃないと言っていたが、あなた達の元々の発想として私たちはフラットで、化粧をしたいからやってるになっていると思っているが、実際は女性は化粧をして初めてフラットな位置に来れるということ。
参加者:例えば僕の知人女性は、普段化粧をしないが学会などでは化粧をする。文句を言いながら。この意味が分かるか?
GR:面倒くさいからイヤなんですよね。化粧の例で言うと。
人たち:しなくてもいいと今あなたが言って、何か社会が変わる?
GR:社会規範の一つに乗るなら化粧をした方がいいと思う。
参加者:化粧をするというのはあなたが肯定する社会規範ですか。
GR:はい。
参加者:化粧を嫌がっている女性は?
GR:公の場に出るならするべき。
参加者:あなたの趣味で化粧している子が好きなのかもしれないが、それだけの話ではない。
GR:人前で人目にさらされる場所では、女性が化粧をするのが一般的。
人たち:それは不当な考えであり、それをNFで再生産しないで。
参加者:これはあなた達の生き方の問題。目の前に辛いと言っている人がいて、それを平気で踏みにじるの?
人たち:見た目に関して私はほっといてくださいと先ほど言ったが、それに関してあなた達から何ら圧力を受けたくない。
GR:見た目ではなくファッションの話。
参加者:一緒。ファッショは見た目。
人 たち:ここまで色々な目に晒されて、それでなおこのような企画がおこなわれるのかという絶望がある。そういうのをステージ上でされると、それは何度でも起 こりうることだから良いということではなくて、痛みは一度でも少ない方がいい。見えない所でやってもらう配慮が欲しい。
参加者:どう思っている?
GR:僕の意見を言ってそれに対する様々な反応があった。今回の企画について、人が何か評価されたい時に、おしゃれでなくてはならないという社会の要請は実際にあるし、それは悪いとは思わない。そこに我々としては問題を感じない。
参加者:あなたはしんどい人がしんどいと言ってる時に、僕はそう思わないと言うのは自由だけど、そういう人がいることをちゃんと認識して。
GR:わかっている。
参 加者:じゃあどうしてそういうことが言えるの?目の前でしんどい人がいるのにそれを踏みにじってまでやりたい企画なのかということをきちんと考えて。これ は訴えです。あなた個人の考えまで変えろとは言わないが、踏みにじってまでこの企画をやりたい理由は何?モチベーションは?
GR:モチベーションはただ盛り上げたいだけ。
参加者:NFは誰がやる祭り?
GR:京大生。でも全員が盛り上がる必要はない。
参加者:一部の京大生が一部の京大生を傷つけるような構造があっていいのか?
GR:僕達は問題ないと思っているし、NFOにも認められている。これ以上言うことはない。
参加者:今日の話し合いを経て何も変わらなかったの?
GR:ここまでに出ている意見で、NFの企画を中止するほどの要素はない。
参加者:その発言の責任を取れよ。
参加者:NFの企画で、ここの場に当事者がたくさん来て、これだけしんどいっていう訴えがあって、私だってここに来るのはしんどかったし、来れない人もいる。
参加者:あなた達の差別的発言は全て明らかにする。
参加者:そんなに甘い問題ではないよ。
参加者:機会均等まで奪うような発言をしているよね。
参加者:女は化粧すべきとか、何言ってんだよ。
参加者:当日抗議します。君等の言う表現の自由を持って抗議する。
GR:それはNFO的には大丈夫?
参加者:NFOに権威を求めるのはやめろ。
参加者:全てNFOがオーソライズする訳ではない。僕達の表現活動として抗議するのだから。NF期間中であろうがNFOの規定は受けない。
参加者:GRはずっと話し合いを放棄している。考え方が違うから、という発言でもって話し合いに誠実に望まれない以上、こっちだって抗議するという結論になる。
人たち:ここまで出てきた、意見、叫びや、訴えや、そういったものを全て意見の違いという言葉で片付けるの?
GR:共感できる意見があったことは認める。
人たち:ぜんぶひっくるめて意見と言えることに驚く。
GR:GRとしての意見はさんざん言ってきたので、NFOの見解を聞きたい。
参加者:NFOの意見を伺うのは筋違いですよ。あなた達が考えるべき問題。
参加者:NFOには、肩書きは関係なく、一個人としてどう思うのか聞きたい。
NFO:一事務局員としてここにいる以上、言えない。
参加者:対話は個人対個人だから、肩書きは取り払って欲しい。目の前で分かりやすい暴力が行われているのに、それを見過ごしている、というように自分には見えてしまう。それに対して一個人として何も思わないの?
参加者:言質は取らない。
NFO:僕はこの場では言いたくない。一個人としてと言われるが、NFOの一員としてここに来ているし、個人の見解は言えない。
人たち:どこでなら言えますか?一個人関係なく、たとえば社会的にだったらどういうことが言えると考えますか?
NFO:固いと思われるかもしれないが、自分は言えない。
参加者:一個人ではなくNFOとしてでもいいですよ。
人たち:今日この場では(NFOとのやりとりは)やらない(ということだったので)。
参加者:見解を出すのは実行委員で、事務局は関係ないから発言していい。
NFO:僕個人、一京大生としての意見は持っているが、この場では発言できない。事務局の組織として、一個人、一京大生として発言したところで結局組織の意見として捉えられてしまうので、発言を控えたい。

人たち:本当にしんどい、死にたい。言葉が全く届かない。
参加者:例えば、意見の違いということで理解されているのであれば、今回のように反対が多く出ているなかでわざわざやるよりも、外でやったらいいのでは。NFに拘る理由は?商業スペースでも借りてやればいい。
GR:外でやっても根本的な問題は解決しない。
人たち:もちろん解決しない。しかしこっちは公共の場でやられるよりは受けるダメージが減るといってるんだから、考慮して欲しい。問題の本質を解決なんてことは、あなたたちがそもそも考えようとしていないのだし。
参加者:本当はやらない方がいいに決まっている。
人たち:その上で、どうしてもやりたいと言っているので、次の案を出している。これは譲歩として。
参加者:NFの外でやられたらどうか?
GR:それだともともとの企画の主旨と全く反する。
参加者:交渉しないか?
GR:そこは妥協できない。
参加者:これまでの話し合いで考えたことは?
GR:やはり企画を変える必要はない。
参加者:変える必要があると訴えている。本当に傷つく人がいるということを踏まえて言っている。そこは理解している?
GR:はい。
GR:この方法だと、かなりNFが盛り上がると僕達が考えてやろうとしている。
参加者:NFを盛り上げるにも、もっとやりようがある。それを模索しようとしてないようにしか見えない。
GR:うーん...。
参加者:NFはあなた達だけが楽しむ場ではない。その企画で傷つく人がいるのに、どうしてやるの?
GR:僕達だけじゃなく、出演者だって楽しむと言っている。それを見に来てくれる人たちも盛り上がる。
参加者:主催者、出演者だけの問題ではない。巻き込まれる学内全体が問題。
参加者:それで盛り上がるひともいるというのは自分もわかる。傷つく人がいるということは認識しているか?
GR:はい。
参加者:だから、
参加者:だからこの場、100人を軽く下回るような人数でも、こんなに死にたいとまで言っているような傷つく人がいる。それは認識しているよね?
GR:そうですね、はい。
参加者:それを打ち消せるほど盛り上がりってなんなの?それって可能なの?どうしてそういうファッションショーが盛り上がると思えるの?
参加者:京大がこういう社会規範を助長していると取られる。(自分も)代替企画を一緒に考えたい。
参加者:その企画で盛り上がれるのはあなた達と同じ価値基準を持っている人たちだけ。(出演者の中にも)こういうことは言いたくないし言わせるあなたにも腹が立つが、これは「あなた達」だけが楽しむ場ではない、他のひとは嫌な思いしてるでしょ。
参加者:NFを私物化しないでください。
参加者:「死にたい」って言ってることについてはどう思う?
GR:...。
参加者:どうなんですか?
GR:...。
参加者:その企画は、例えば9割とか大多数の人が楽しめる企画だと認識しているからやりたいということ?
GR:そうです。
参 加者:多数決の問題ではない。こういう企画でしんどくなる人は、少数派だからこそ更にしんどくなる。その人達のしんどさは、多数派が盛り上がっていれば打 ち消せるとか、そういうものではない。盛り上がろうというなら、既にある、「ウケる」企画を引っ張ってくればいいだけで、実際そうしたのだと思う。あなた 達のやろうとしている企画は女性の外見をマーケットに乗せるという、非常に古典的な企画。
GR:うーん...。
参加者:もっと楽しい企画をやろう。
参加者:NFだからダメというのは次善的ラインである。
参加者:こういう議論をその場(代替企画)でしてもいいですが。
参加者:辛い人たちの想いがマジョリティの意見に晒されそう…。
参加者:彼ら(GR)の差別的発言は大丈夫なのか?
参加者:差別であることを本人たちが認識しているのだから、いいのでは。
人たち:来年に向けて考える場にしてもいいと思う。

人たち:私の死にたいという発言については、死にたいくらいならおしゃれをすればいいと思っていると思うのですが、どうですか?
GR:評価されたいのであれば、そうですね。
参加者:評価されたいという表現を使わないで!
参加者:...ちょっと待って、問題を理解している?
参加者:現状がフラットであるとおもっているんだよね?
GR:はい。
参加者:如何に初期状態がフラットではないのかということを認識して。どれだけしんどい目にあっているのかということを。
参加者:想像して欲しい。このまま生きて、老人になって、腰が曲がって、若者にあいつ醜いなとか言われても、それは若者個人の発言が自由な社会である、と思っているということ?
GR:それは仕方ない…。
参加者:そういう社会で生きたいの?
GR:そういうことを言われない社会が全く想像できない。
参加者:そういうことではなく、今は他人事として捉えているみたいだけど、自分の問題として捉えて欲しい。自分の立場だけじゃなく、弱い立場の者のことを考えろということ。自分(あなた)も、いずれそういう立場になるんだよ。
GR:はい。

参加者:人殺しますよって言っているようなもんですしね...。人殺しは悪いことでしょ?
GR:それは犯罪でしょ。
参加者:犯罪かどうかではなく悪いかどうか聞いている。
GR:悪いと思う。
参加者:あなたが悪いと思っている、やってはいけないと思っていることがあると思うけど、その中に人を踏みにじらないというのは入らないの?
GR:入る。
参加者:踏みにじろうとしているよ。
参加者:どうしてそんな浅はかな思考で、私たちの訴えを聞く気もないのにやろうとするの?全然考えていないじゃないですか...。
GR:考えているつもりですが。
GR:考慮して、反映するというのはすなわち中止すればいいということ?
参加者:そういうことではない。
人たち:今のままでは全くよくないと思いますけど..。
参加者:これだけ辛いと言っているひとがいて、あなたがどう思っているかはわからないけれども...やばいとは思わないの?
GR:やばいと思っている。これまでのいろんな発言への批判もあるし、やばいとは思っている。
参加者:それでもなおやるの?聞いてて実感がわかないとか?もしかして演技だと思っている?辛いフリをしているとか。
GR:そうは思ってないです。
参加者:それでは、なんらかの理由で「これは大したことじゃない」と思っていると思うんですが、その理由を教えて欲しい。多数決で勝てそうだからという意見でもいいけど。
GR:この企画に興味を持って楽しみにしてくれている人たちがたくさんいる。
参加者:「盛り上がり」というのはどういうこと?
GR:当日の来場者数も多そう。
参加者:盛り上がりというのはじゃあ、多くの人が来るということ?
GR:そうですね、はい。
参加者:観客はああ無くなったくらいの認識だろうからいいとして、モデルはこの企画がなくなって死にたいとまで思うだろうか?そこまで思うかな?
GR:そこまでは思わないと思う。
参加者:こっちは既に(死にたいと)思わされている。単純に比較はしたくないけど...あなた達は比較した方が分かりやすいんでしょうから...どうなんでしょう?
参加者:やりたい人と傷つく人を天秤に掛けて、やりたい人なり観たい人が多いからやるということ?それすらもおかしいと思うけど。
参加者:天秤に乗せられる問題ではない。少数派の問題だから。
GR:天秤に乗せられる問題でないことはわかっている。
人たち:あなたはずっと天秤に乗せていましたよ。
参加者:あの企画を潰された企画者だと見られるのがイヤなの?
GR:それは邪推。単純にNFを盛り上げたいだけ。
参加者:最初はそういう認識だったかもしれないけど、これだけ盛り下がる、見たくない、死にたいという意見があって、それでもなお押し通すのはどうして?
GR:比較論に持っていくのはおかしいが、死にたいと思う側の気持ちをしっかり聞きたくて...。
参加者:それはかなりえぐいことを要求しているよ。
参加者:あなたと同じような価値観の人がたくさん参加して、一方で死にたいとまで思っている人たちがいて、それがあなたの言う盛り上がるという状態?
GR:ここで大事なのは死にたいと思っている方の意見なので、それを聞きたい。
参加者:この数時間何を聞いていたの?思い出してみて。
GR:この企画は女性のおしゃれさを競う企画で、そのステージに上がれる上がれないという段階で選抜があり、参加できない人は辛さを感じる、という認識。
参加者:そもそも参加するという行為、脚光を浴びるという行為が評価されるということがあって、そういう価値観そのものに対して反発を抱いている人もいる、というのは理解している?
参加者:自分の力ではどうしようもないけど、お洒落した方がいいとか、舞台に上がる方が女性として上等とか、そういう嫌な気持ちになることが強制される。実際そういう社会通念が罷り通っていて、このイベントはそういう社会通念に便乗して再生産しているということ。
参加者:あなたがた自身の価値基準も問うている。ヒエラルキーの下層だから嫌に思っている人もいるかもしれんけど、ヒエラルキーがある事自体にうんざりしている人もいる。それは通じている?
GR:...。
参加者:ミスコンなんかが簡単に開かれるような大学は嫌。ここまで問題提起して尚且つやるというのはどういうこと?

人たち:(会場に向けて、)傷ついている人もいる、死にたいと思っている人もいるという言い方で、引き合いに出されること自体が非常に負担では...あるんですけど....。
人 たち:ちょっと言葉をつなぎますけど...。死にたいというのは脅しではなく、本当に死ぬわけでも、あなたがたが殺すと思っている訳でもない。KGCが開 かれたからと言って死ぬ訳では多分ないでしょうけど、それでも死にたいと思う。その違いが分かるでしょうか?(おしゃれという)社会的規範に従属すればい いというのがあるだろうけど、その規範があること自体が嫌だし、みんながそれをいいねいいね言ってる場所に行くこと自体も嫌。死にたいというのはそういう ことで、居場所が無くなることをされちゃうということ。就職活動の例などでも分かると思うが、既にこんなにまで居場所がないのに、またその場所がひとつな くされてしまう。社会的責任を全て負えとまでは言わないが、でもそれを、作り出しているのも事実。そうした居場所のなさを強化しているということを意識し て。あなたが私の居場所を奪うということは認識して欲しい。
GR:ありがとうございます。
人 たち:たとえば、私が今この場にいるこの格好で、私は本当に出たいとも思わないけども、出ようとしたところで、あなた達は「それは僕達の求める華やかな格 好ではない」と言って、事前にしろ、当日にしろ、何らかのかたちで私を弾くと思います。それは非常に容易に想像できる。ダンボールなどは極端な例だが、G パンとTシャツなど私の普段の格好で行くと、あなた達は絶対に私を締め出すだろうし、出してもらった所でネタとして扱う様子が容易に想像できる。それはス テージだけではなく、普段からある。あからさまに「女の子らしい格好をしろ」とは言わなくても、私はちょっとスカートを履いたりするだけで「めずらしい ね、可愛らしいね」などと言われる。こう言われることで、やっぱりこちらの(「おしゃれ」をした格好の)方が評価されるし、私の普段の格好は評価に値しな いのだと思い知らされる。あなた達の言うおしゃれな女の子達と私が並んだら、ネガティブな評価を受けるだろうということは簡単に想像出来る。それは別にス テージを想像しなくても、本当に、普段から、あるんですよ。ネガティブな評価をされないようにしようと気を使うことのプレッシャーとか...。あなた達が ステージ上で「華やかですね」「綺麗ですね」と言って、あなたたちが思うような着飾った女の子を並べて歩かせて、褒め称えるということは、そういうことが 当然行われていいことだと思わせてしまう。そういう風に評価をされない自分は、何なんだろうと辛くなる、あなた達が盛り上がることと引換えに。このステー ジが行われることで、一度だけではなく、そういうことを、ステージが終わったあとも、常に感じるということです。
女 性を見た目で序列化することを何度も何度も繰り返していい、そういうことをしやすい環境をもっと作っていく。それが再生産、規範の強化ということ。あなた にもコンプレックスがあると思うが、それに対して努力しなければ半人前であるかのように言われたり、そういうことに大して(見向きもされなかったり、僻み だとレッテル貼りをされるから)意見を言えない状況に置かれているひとたちのことをもっと考えて欲しい。
GR:切実な意見を聞いたので、もう一度自分の頭で考えたい。

参加者:ちょっともうひとつだけ。些細な事なんだけど、先程GRが差別は劣っている側がされるものといっていたが、僕自身ある種のセクシャルマイノリティなんだけど、それによって自分が劣っているなどと思ったことはない。言葉に気をつけたほうがいいと思う。
GR:はい。ありがとうございます。

NFO:再開。
GR(起 立して):先程直接に辛い、死にたいとまで言われる方がたの話を聞いて、それを真摯に受け止め休み時間中に運営メンバーで冷静に話した。また同じことの繰 り返しになるが、考え方の違いは実際ある。しかしこの企画をやることで死にたいとまで言われたから、実際死なれたら責任を取れないし、そこまでしてこの企 画をやりたいとは思わない。死にたいという発言から苦痛を感じ取った。結論から言うと、KGCは中止する。これはこれまでの話し合いを踏まえて冷静に考え 判断した結果。この前のように翻ったりはしない。今後の対応として、KGCがこれだけ世に広まっているが、SNS等で中止を報告し、出演者のモデルにも ちゃんと断りを入れる。
人たち:死にたいって言う人がいるから中止、みたいに書かれるのは…。
GR:きちんと推敲した文章を掲載する。中止の声明は早いほうがいいので直ぐに出す。
参加者:中止声明は今やればいい。
参加者:NFOとして空き時間はどうするの?
NFO:考える。初めてのことなので。
参加者:名前を変えて別企画をやるという可能性は?
GR:そこまでのスタミナはない。
人たち:ステージを開放したらどうか。
参加者:NFOの見解聞ける?
NFO:パンフレット上で報告することはあると思うが、NFOとしての対応は局内会議を経てから。
参加者:事務局と中間実の間での話し合いは必要では。事務局の対応に関するそもそも論から始まって。
NFO:このまま何も無しということはないと思うが、またそれを含めて会議する。

人たち:今「死にたい」と言ったことにつ いて、嘘つけお前図太いやろって思われるんじゃないかなっていう怖さがあって、それが抑圧されるということ。みんなそう思ってないかもしれないし、受け止 めてもらった結果だと信じたいが、死にたいと言っている奴はどうせ本当には死なないだろうと思われてしまうかも、とか考えてしまう。それはなぜなら私は見 てくれがこんなんで態度がこんなんだから。これはもうほとんど呪い。社会規範とはこういうもの。

NFO:本日はお集まりいただきましてありがとうございました。

参加者:僕はこの場に来た時、これはもっ と討論のような、明確な基準や事象をもとに話しあうのだと思っていた。個人的にはもちろんそれぞれ思っていることがたくさんあると思う。今実際話し合っ て、この7時間半で何か得られたか?話の進め方で、一番最初にどこで合意した?僕の認識としては、皆様の合意のもと、より良いNFを作るために行われたも のだと思っていた。そうではなかったのか?
人たち:(今の企画のままでは)傷付けられるのでそれをやめてくださいということ。
参加者:僕も楽しいNFを作る場だと思ったが、実際来てみてそうではなかった。
参加者:傷つくからという個人的な動機ではなく、公の合意があってそれをやってもいいやってはいけないという話をしていたのだと思った。
参加者:始めの5時間くらいはそうだった。
参加者:前回もそうだった。
参加者:この場は何のための話し合いだったのか?
参加者:いろんなこと。
参加者:NFでこういうことが起こったら話し合って解決するのがNFの慣例であったと思う。NFのあるべき姿を元に、こういうのがよくて、こういうのが悪くてというのを適用する場だと思っていた。
参加者:そんな簡単なルールで決められることではない。
参加者:現状NF憲法はない。
参加者:あったとしても個別具体の事象について話し合うことは免れ得ない。今後憲法を作っていくことは検討できるが。
人たち:NFのルールがあったところで、そのルールが抑圧的なものを許容するならルールで許されようが否かにかかわらず、それらに対して反発せざるを得ない。
参加者:それは違う。NFのルールがおかしいならNFのルールを変えるべき。今日の話し合いでは、お互い傷付けあっているようにしか見えなかった。

人たち:死にたいといってすみませんでした。
人たち:(GRへ)お願いなんですが、感情や気持ちによって脅迫されたと捕らえないで欲しい。
参加者:ルールを作るのは難しい。今日ので全部忘れて来年また知らない人が集まってきて同じことを繰り返すのではなく、この話し合いを生かしてやっていきたい。こういう会議は境界領域で発生するものだから、その都度蓄積していくしかない。
参加者:抑圧的なものはダメ、というルールを作ったところで、そしたら抑圧の定義の議論にもなるし。
参加者:NFでは差別的な企画を許容しないをいうルールをみんなが共有していると思った。
参加者:そうであればいいなという程度。
参加者:今日の議論のプロセス上、そこから大きくはずれていない。スタートの段階で基準を決め、演繹的に引き出していくという作業は確かにしていないが、何も無い所から基準を作るのは難しいことなのでは。
参加者:もうやめてもらえますか。
人たち:なんで私が今謝ったか分かる?わからないよね。
GR:これまで考えたことのなかった視点でこんなに長い時間考えることができたのは、今の自分の考えや今後の生き方に影響を与えると思っていて、とても有意義であったと思う。話し合いの中で他者を傷つける発言があったことについて謝罪する。
GR:僕からも謝罪する。
NFO:長い間お疲れ様でした。ありがとうございました。

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